ひーらぐ日記

自然をこよなく愛する写真家?趣味や興味や楽しかったことだけ書く。

考察しながら読む少女終末旅行「02戦争」

ユーリの銃は38式歩兵銃、戦車はソ連のT46、爆撃機はロシアのツポレフ95らしい。いずれも文明崩壊後の後期文明で復元された兵器のようだ。

 

季節は冬で、雪が降っている。01話でも雪が積もっている。二人がおじいさんの場所から出発するときに「冬の配管置き場」云々とのセリフがあるが、その冬の続きであるようにも見えるし、そうでないようにも取れる。

 

文明崩壊後の文字については、アニメ設定資料に解説がある。「ばくやく」「kaede」「こけいしょくりょう」と読める。

 

なぜ戦争が起こるか、なぜ人は争うのか、そういうことがテーマになっていると示唆される。食糧や資源の枯渇が戦争の原因と二人が気づく。

 

二人は戦争について疑問に思うが、銃や爆薬の使い方を知っているほどには訓練を受けている。

 

これら兵器の残骸は、文明崩壊後の後期文明で復元されたもの。文明崩壊の原因となった兵器は、文字が日本語で動力は核融合、武器はレーザー核融合核融合爆弾などが使われていた。それに比べれば争いは退化したとも言える。

 

チトは、物理的によく暴力を振るう。二人の間で起きた人類最後の戦争?は、殴って終わったようだ。

考察しながら読む少女終末旅行「01星空」

パイプだらけの工場のような場所を進む二人の少女。黒髪の方がチトで金髪の方がユーリ。二人が乗っている車両はケッテンクラートというドイツ車で、文明崩壊後の世界で復元された模造品。

 

舞台は西暦3230年。二人は子供の頃に暮らしていた「おじいさん」がいる場所から、戦火に追われて旅を始めた。地球は自律機械が作り出した基盤と連絡塔からなる階層都市で覆われている。

 

既に都市の機能は失われ、人の姿もなく、動作している機械も少ない。二人はおじいさんの言葉に従い、上層へ向かい食糧や水、燃料を探して補給しながら旅をしていた。

 

ユーリは暗い場所が苦手で、後々に同じような場面が出てくる。

 

二人がいるのが基盤の中なのか、基盤の上に作られた後期文明なのかは、よくわからない。

 

古代文明の文字は普通の日本語で表記され、二人のいる時代はひらがなを進化させたような文字が使われているので一応の区別がつく。なお、漢字を進化させたような文字も出てくる。

 

二人が入った穴の入り口の文字は後期文明の文字だが、中の施設はどうかは分からない。巨大な空調施設は、温暖化で水没した都市に空気を送るものだと個人的には思っている。

 

アニメでは二人が寝ているときにおじいさんの家を出発するときの回想が流れる。このときの二人は幼い子供だが、原作漫画では01星空と変わりない大きな少女になっている。

 

二人の身長を比べると、ユーリの方がかなりガタイがいい。アニメではもっと差がない。この時点で最後のスープと言っているので、かなり追い詰められいる状況だ。

 

第1話が星空で、最終回との対になっている。二人が寄り添って眠るのも。

 

アニメでは縄で縛られた石像が出てくる。神?が迫害された痕跡に見える。文明崩壊後は、神が信仰されていて、それなりに発展していた時代と、神が迫害されて第二次文明が衰退していった時代があるようだ。

 

 

少女終末旅行の世界の疑問点と考察

 

「なぜ階層都市がつくられたか」

 

41吹雪で、「昔の人はなんでこんな大きな都市を作ろうとした」というセリフがあります。都市の成り立ちについては、いくつかヒントがあります。

 

・何かから身を守るため(41のセリフ)

・戦争から身を守るためではない(41のセリフ)

・つくりかけの場所がある

・上の層ほど近代的になる(設定資料)

・自立型の建設機械が基盤型都市を作っている(34怪我)

・古代人によって作られた都市は基盤と連絡塔から成り、基盤殻層の内部では、自立機械がインフラの管理、増築、補修を行なっている(設定資料)

・連絡塔の周りは文明崩壊後の人口密集地で住宅(07都市)

・古代人によって作られた階層型都市に現代人(?)の祖先か住み着いた(07都市)

・団地型住居は古代人が作り現代人も利用した(設定資料)

・高床式住居が見られる(12住居)

・水が干上がった水路がある(12住居の設定資料)

・古代人によって作られた原子力潜水艦が基盤の上にのっている(30過去)

・パイプがたくさんあり、中が通路になっているパイプがある(17迷路)

・巨大な換気扇がある(01星空)

・古代人が作った都市には巨大な排水機構がある(05洗濯)

 

…「水」に深い関わりがありそうですね。都市は水の中にあったのかもしれません。

 

 

「文明崩壊後の世界で人工知能やぬこが神とされていたのはなぜか」

 

寺院や墓場にあった石像は、32仲間で登場するエリンギ(ぬこの成体)や第6基幹塔の人工知能と似ています。いくつかの点をまとめてみます。

 

人工知能は機械と人間の仲立ちをしていた

人工知能は失敗作の神様と言った

・ぬこは機械を操作(電源供給)することができる

・エリンギは自律機械と同じく電波で会話する

・エリンギは人間の言葉を理解するが発声器官はない

・エリンギは生きている人は食べない

・エリンギは火薬や核物質などを分解して安定化する

・エリンギは最上階に干渉する権限を与えられていない

・エリンギは都市間を飛んで移動する

・エリンギの変形前の姿は石像に似ている

・小型17番乙種の進化して自己増殖する機械がその後どうなったのかわからない

・アニメの01星空で、縄でしばられた石像がでてくる

 

…もしかしたら、古代文明が滅ぶときに現代人の祖先を救ったのは人工知能だったのかもしれません。そのときも機械と折衝したのでしょうか。ぬこに似た石像は、進化した機械の姿だったのかもしれません。しかしその後、関係は悪化したようです。

 

「移住計画を中止したのはなぜか」

 

42宇宙で、ロケットの施設の中の資料からは絶滅直前の古代人が太陽系外に移住しようとしていて、その計画が中止になったことがわかります。なぜでしょうか。

 

・04ロケットが発車直前の状態で残されている

・方舟計画中止に伴う計?画とは

・火?星基地通信途絶と予想と中止とは

・44喪失にあった巨大なギアは何に使われていたのか

・最終話の廃墟に軌道エレベーターや、らせん階段の上に点線があり月につながっている図がある

 

…ロケットがまだ残ってたことから、移住をあきらめたのではなく、他に移住する先が見つかったのではないでしょうか。

 

「河童とカメラの文字のなぞ」

 

現代人の文字は、連絡塔や給油施設、寺院の説明書きなど、ほとんどひらがなで書かれていました。日記もひらがなです。例外が河童の本とカメラで、現代人文字風の漢字が使われています。

 

・寺院や墓の建築技術は高い。

・カメラの技術は古代文明のものなのにピントは手動

・図書館に読める本がある

古代文明崩壊の原因は隣国との戦争

・戦争の原因は食糧の奪い合い

 

古代文明が崩壊したのち、生き残りが作った文明がある程度発展し、再び崩壊した世界が現在なのでしょうか。

 

文明崩壊プロセスの仮説を以下のようにまとめてみました。

 

1.海水面の上昇による都市の水没と利用可能資源の減少

2.食糧難による隣国との戦争

3.文明崩壊と地球滅亡

4.方舟計画の中止および人工知能とエリンギ(進化した自律機械)による人類救出

5.人工大地における人類と機械文明の共存

6.海水面の低下と地球の環境回復

7.人類地球帰還計画の実施

8.人工知能や機械文明との決別

9.食糧難による内戦

10.第二次文明崩壊と地球滅亡

 

少女終末旅行 その後の考察

※いろいろな人の考察を読んで、ラスト後の行方を考えました。

 

ゆ「ちーちゃん、起きてたの?」

ち「うん、ちょっと考えてたんだ。」

ゆ「何を?」

ち「この世界の成り立ち?」

ゆ「なり…なにそれ?」

ち「この世界がどうやって出来たかってことだよ」

ゆ「…そんなのどうでもよくない?」

ち「他にすることないし」

ゆ「それもそうか」

 

ち「途中で勝手に動く機械がいたよね」

ゆ「いたいた」

ち「都市の基盤や柱は、あいつらが作ったものじゃない?」

ゆ「古代人じゃなくて?」

ち「古代人があいつらに作らせたって意味だよ。」

ゆ「あー」

ち「それから戦争があって、人が減っていって、文明も消えていったのかなぁ。武器も古い方が強そうだったし」

ゆ「残ってた武器も、ぬこが食べちゃったし、ね」

ち「あれは多分、この世界を浄化してるんだと思う」

ゆ「浄化?」

ち「きっと武器のない、安全な世界を作ってるんだよ」

ゆ「それで、どうするの?」

ち「え?」

ゆ「何のためにそんなことするかってこと」

ち「何のためってそりゃあ…」

ゆ「…」

ち「ちょっと待って。なんか大事なことに気付きそうな気がする」

ゆ「わたしもそんな気がするよ!」

ち「浄化する目的としたら、地球が再び生命の営みを始めたときの邪魔にならないようにするためか」

ゆ「そっか、地球は復活するんだね!」

ち「ずいぶんと先だろうけどな」

ゆ「それまで待つのは無理そうだねー。お腹すくし」

 

ち「…理由は想像できたけど…じゃあ誰がぬこをこの世界に送ってきたんだ?」

ゆ「うーん、ぬこはうちゅーじんなんじゃないかな」

ち「なにそれ」

ゆ「他の星からきたひと!」

ち「それはないだろ。それにあれは有機体に見えるけど、機械だよ。電波で通信したりするし」

ゆ「機械かー。それじゃ、あの自分で動く機械より、ずっと進化したやつだな」

ち「え?」

ゆ「だって、魚のとこにいた機械より、ぬこが機械なら進化してそうじゃない」

ち「…。ゆー!」

ゆ「それに気づいたわたしってえらい?」

ち「もっと…上があるかも」

ゆ「え?」

 

ゆ「上には何にもないよ」

ち「ここまで、上に来るほど高い文明や技術があった」

ゆ「ふんふん」

ち「だとしたら、ぬこたちは、今いるここより高い場所から来たってことじゃん」

ゆ「おー、なるほど」

ち「そこにいる人たちが、ぬこを下に送ってきたんだ」

ゆ「でもどこにあるの?」

ち「…登るところを間違えたのかなぁ」

ゆ「でもあの透明なやつは、ここが最上階だって言ってたよ」

ち「うーん」

 

ゆ「…ねぇ。この黒い石の模様、あの透明なやつが消えるときにもあったよね」

ち「うん。もっと他にたくさん模様があったけど」

ゆ「もっと広いってこと?」

ち「広い?」

ゆ「これって、太陽系ってやつじゃないの?」

ち「え…」

ゆ「違うのか?」

ち「…マジか」

ゆ「ちーちゃん?」

ち「違わないとしたら…あの人工知能の頭の上にあったのが太陽で、丸いのが惑星…たくさんある曲線の壁みたいなのが…」

ゆ「上の階層?」

ち「じゃあロケットのとこにあった太陽系は古い模式図で、ロケットは上の階層の存在を知らなくて作ったのか」

ゆ「ロケットが途中までしか行けないのは、上の階層にぶつかったからだったりして」

ち「…」

ゆ「冗談だよー」

ち「…本当にそうかも」

ゆ「マジか」

ち「04のロケットがあったのは…」

ゆ「そもそもロケットなどいらないことに気づいたのでした」

 

ち「マジかよ。本当にこれで辻褄が合いそうだ」

ゆ「じゃあ、ちーちゃん、この黒い石も、どっか触れば光るんじゃない?」

ち「マジか?」

ゆ「他にすることもないし」

ち「そ、そうだな」

ゆ「ドキドキするね」

ち「フ、そうだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

発達障害と不登校5「理性のコントロールと思考のトンネルの脱出法」

感情が暴走するのと同じように、理性も暴走することがある。ひとつはアスペルガーもしくは擬似アスペルガー症候群とでも呼べる状態で、ひとつの感情とひとつの理性に固執し、こだわり、柔軟な考えができなくなってしまう状態である。重症な恋愛や、快楽猟奇犯などがこれに当たる。もうひとつは、感情が完全に欠如した状態で、サイコパスなどがこれに当たる。

これに対処するには、いろいろな感情を持つことだ。ひとつの理性にはひとつの感情が対応している。多様な感情を持つことは、多様な理性を湧き起こすことになり、多角的な思考につながる。そのためには、矛盾を恐れない。物事に白黒つけようとしない、心構えが必要だ。「頭を柔らかくしろ」ということだ。

しかしそうしているうちに、悩んでいる時間が増え、ちっとも解決しないようになってくる。思考が過多になると、結論が出せなくなる。これが思考のトンネルだ。そうしているうちに、神経性胃腸炎や慢性頭痛になってしまう。

 

「悩みは解決しない」

ここではっきりと伝えておきたいが、悩みというものは解決しない。我々はただ「選択」するだけである。思考は選択の余地を増やすだけで、結果は行動しないと現れない。誰でも、物事の全てを正確に把握しているわけではない。つまり思考には限界があるのだ。実際に行動を起こして、前に一歩進まなければ、次の一手が読めない。

つまり理性は、行動によってコントロールできるのだ。理性的に行動しても、それが感情的に許せない場合もあるだろう。逆に感情的に行動しても、理性がそれを許さない場合もある。そうした中で、我々ができるのは、理性と感情がともに妥協できるいくつかの行動を選択することである。

 

「失敗に学ぶ」

そして失敗を恐れないことだ。失敗したときに、もっと考えればよかったとか思わない。そのときは、それが限界だったのだ。しかし失敗には学ぶことができる。むしろ失敗を多くすることによって、感情や理性を抑制することができるようになる。

 

いよいよここまで来て、不登校の問題に取り組むことができる。まずは、不登校の原因となっている反抗期について述べたい。というのも、反抗期というのは実は擬似アスペルガー症候群になっている親の問題でもあると考えているからである。

 

 

発達障害と不登校4「感情のコントロールと内的ストレスの軽減」

人間は外部から刺激を受けると、感情が生じて心身に様々な反応を引き起こす。

外部からの刺激を、外的ストレスと呼び、感情によって脳内に分泌され、心身に反応を引き起こすのに使われる命令物質を内的ストレスと呼ぶことにする。ここでは感情をコントロールすることで、内的ストレス(以下ストレスと略す)の量を調整する方法について述べる。


「ストレスはない方が良いのか」

ストレスは、悪い出来事ばかりではない。宝クジが当たった人が心臓麻痺で死ぬ、嬉しくて涙が出るというように、一般的には良いと思われることでも生じる。悲しいことや、嫌なことだけでなく、嬉しいことや楽しいことでもストレスは発生するのだ。ストレスは、感情によって生み出されるエネルギーのようなものだ。人間はこのエネルギーを使って身体を動かしている。ストレスが足りなければ、何もする気が起こらず、身体は動かない。ストレスなしでは、頑張ることも危険を避けることもできないのだ。一方で、ストレスが多過ぎると、心身が壊れる。あるいは、心身が壊れないように、様々な防御反応が起こる。頭が痛くなったり、涙が出たりするわけだ。


ストレスは感情の働きによって脳内で分泌される物質によって引き起こされる。感情の量をコントロールすれば、ストレスの量をコントロールできる。それでは、感情をコントロールしてストレスを軽減する方法を解説しよう。


「感情の使い過ぎ、使わな過ぎに注意」

腹が立つことがあったとしよう。しかし怒りすぎてもいけないし、いつまでも怒っていてはいけない。忘れることが必要だ。何故なら、感情は使えば使うほと強くなるようにできている。必要に応じて能力が強化されるのだ。怒れば怒るほど、怒りっぽい人間になる。


目の前に他人がいると想像して、以下にあげる事項を見て欲しい。自分や大切な人に対して、

・殺そうとしてくる

・なぐってくる

・肩がぶつかった

・怒鳴られる

・指を指される

・近づく

・話しかけられる

・何もしないでいる

以上のうち、最初の「殺そうとしてくる」で怒りが最大限になるのであれば、平常状態である。しかし、怒りを使い続けると、段々と下の方の出来事でも怒りが最大限になるようになってしまう。感情は強くなりすぎると暴走するのだ。

一方で、感情は使わな過ぎると体が動かなくなる。「怒るのが嫌で、自分は何に対しても絶対怒らない」などと考えている人は、危険が近づいてきたときに何もできないだろう。自分の感情が過敏なのか、過少なのか、自己分析することが常に必要だ。


「楽しいことでもストレスは産まれる」

ストレスは感情によって脳内で生み出されたエネルギー生成命令物質であるから、怒りだけではなく、喜びや愛情など良いイメージのものでも発生する。全ての感情には、生物が生存するための戦術的理由がある。何故その感情が利用されているのが、以下に例示しよう。それぞれの感情には、生物が生き残るために必要な目的があることを理解して欲しい。

 

・喜びと悲しみ

仲間や味方をつくるために利用される。群れをつくる生物に多く現れる。

・怒りと恐怖

敵を追い払い、あるいは敵から逃げるために利用される。

・あこがれと嫉妬(悔しさ)

向上心、生物個体が能力を向上させるために利用される。

・安心と嫌悪

安全確保のため、個体が安全に生息して活動する場所や環境を取得するために利用される。

・愛と憎しみ

繁殖のために利用される。

 

また一見すると相反すると思われる感情も、根源は同じ場合があり、一方の感情が敏感なると、もう片方の感情も過敏になることがある。例えば、楽しいパーティーが終わったとき、寂しくなったりするのは、そのせいだ。同様に、怒りを感じやすくなれば、恐怖も感じやすくなる。こうした傾向を理解しておけば、感情をコントロールし、ストレスの量を調整することが可能だ。

 

「ストレス過多を防ぐには」

感情をコントロールする方法の第一歩は、その感情が現在の自分にとって必要か否か、得か損か、あるいは多いのか少ないのかを考えることである。特にストレス過多のときは有効だ。なぜなら理性を働かせることは、それ自体が感情を抑制することになるからだ。人間の脳は、脳幹からの命令が大脳皮質を通じて伝達される。感情によって産まれた命令を理性のフィルターをかけて選別することができる。

理性のうち最も有効に働くのは、「損得」だ。「短気は損気」「慌てる乞食はもらいが少ない」という諺があるが、感情は理性で抑えうることを示している。自分の感情とそれによって産まれる行動が、自分にとって損なのか得なのかを考えることは、感情を一時的に抑制するのに有効である。


しかし理性で感情を抑制することは、一時しのぎに過ぎない。また抑制しすぎると爆発する危険性がある。思い切り泣いたり叫んだりして感情を発散させた方がいい場合もある。感情をコントロールする第二は、別の感情で誤魔化すことである。腹が立ったときは、何か楽しいことを考える。不安なときは愛する人のことを考える、このように、全く別の感情を働かせることにより、感情はある程度抑制できる。この方法のメリットは、感情によって刻まれる記憶を薄める効果があることである。悲しくなったり腹が立ったとき、嬉しいことや楽しいことを考えれば、悲しみや怒りの記憶が曖昧になる。自分にご褒美を与えるのもこれに類する。美味しいものを食べたり、部屋を片付けて達成感を得たり、欲しいものを買う、化粧する、着飾るなどして満足感を得たりすることだ。人間は記憶を反芻することで、感情を強化する傾向がある。他の感情で誤魔化すことは、記憶の定着を防止する効果があるのだ。


しかし第二の方法も、感情のコントロールとしては不完全である。大きな感情の揺れを、別の大きな感情で抑制しようとすれば、精神的に不安定になるのは避けられない。そこで第三の方法が必要になる。感情を弱くし、安定化させる方法だ。

 

「感情を安定化する方法」

以上までで、感情とストレスと心身についての関係が理解できたと思う。感情によって心身を動かすための活性化命令物質、つまりストレスが発生し、ストレスが多すぎると暴走して心身に異常が発生するということだ。ストレスは脳内分泌物、脳内麻薬と言ってもいい。

実は人間には、自律的に感情を安定化させる機能が備わっている。何もしないでいるだけでも、感情の波は自然におさまるのだ。瞑想とか、座禅のようなものがこれに当たる。現代人には難しいかもしれないが、何もしない、という時間は精神の安定には必要だ。「ひとりになる時間が欲しい」というのもこれに当てはまる。さらに、精神を安定化させるための物理的な方法もある。風呂に入る、動物に触る、エステやマッサージを受ける、適度な運動をする、日光を浴びる、いわゆる気分転換と呼ばれるものも、精神を安定化させる効果がある。逆に精神を不安定化させる要素、寝不足や疲労、苦痛といったものは出来る限り取り除くことが望ましい。


だが不思議なことに、人間は休んだり気分転換をしただけでは感情がおさまらないことがある。人間という種が持つ特殊性にその理由がある。


「感情がおさまらない理由」

なぜ人間は、休むだけで感情の波がおさまらないのだろうか。生物としては異常な、不利な性質と言える。しかしちゃんと理由がある。実は人間は、様々な出来事によって引き起こされた感情と、それを理性で行った分析結果、結果に基づいて行った行動について、他人に発信し、共有しないと気が済まない生物なのである。感情の共有、知恵の共有、知識と経験の共有、これを行わないと感情の波から解放されないように人間は出来ている。これは人間という群れをつくる種が生き残るために身につけた生存本能である。「人に話せば気が楽になる」「誰かに分かって欲しい知って欲しい」「文書を書いて発表し他人に読んで欲しい」「俺の歌を聴いて欲しい」こうしたものは本能に基づく欲求なのだ。何故このような性質が身についてしまったのか、恐らくは人間が群れを作って行動するうちに群れから離れる個体が現れないようにするための抑止力だったのであろう。

人は孤独では生きていけない、人間は人の間と書く、人という字は人が支え合っている、こうしたことはよく言われるが、その理由がこれだ。


「他人に話を聞いてもらう方法」

人間は、自分の気持ちを他人に聞いてもらうことで精神を安定化させている。それによって生存に必要な情報を種全体で共有化し、生き残りを図っている。では他人に話を聞いてもらうにはどうすればよいのだろう。正確に伝えるための言葉の学習は必要だ。感情を抑制し、理性的に論理的な思考をすることも必要になる。ゆっくり、分かりやすく、繰り返し話すなどのテクニックも必要だ。できることは、自分でする自立した人間にならなければ出来ない。例えば「部屋が汚れててイライラするのよね」と言われても「じゃあ片付けろよ」としか思われない。相手にとって有用な情報でなければ聞いてもらえないのだ。部屋を掃除したうえで、「掃除って大変よね、なにかいいテクニックはない?」と聞かれれば、会話も弾むというものである。自分の出来ることは自分でやる、自立した人間になって、はじめて人間社会で他の人間に相手にしてもらえるのだ。

感情のコントロールであれば、感情を抑制するところまでは自分でできなければならない。そうした上で、他人に話を聞いてもらうにはどうすれば良いか。それにはまず相手の話を聞くのである。

 

「友達は財産だという意味」

人間は本能的に、自分の話を聞いてもらいたい生物だ。だから他人の話を聞こうとすれば、簡単にできるであろう。まずは自己主張しないで、相手が何を伝えたいのか聞いてみよう。そして最初は、自分の意見は言わないようにして、共感だけするようにしよう。すると相手には、自分の話を聞いてもらったという借りができる。自分にとっては貯金のようなものだ。こうしてせっせと貯蓄を増やしていくとよい。そうすると、自分がどうしても他人に伝えて発散したいときに、話を聞いてくれる友達が自然と増えているはずだ。

相手の言いたいことを引き出すテクニックも必要になる。場合によっては言いづらいことを言わせる、それだけの信用を得るに足る人間になることも必要だ。そして、自己主張ばかりして話を聞いてくれない人は、友達リストから外してもよい。人はそれぞれ個性がある。好悪の別もある。無条件に話し合える存在というのはとても希少なものだ。そういう友達は、貴重であり、財産であり大切にしないといけない。お互いの話を、お互いに聞き合える関係の友達ができたら、少しずつ自分の思いを伝えてみよう。

最初に、「ちょっと話を聞いて欲しい」と言ってみよう。友達との良い関係を築ければ、例え嫌なことがあっても、友達との絆を深めるための話題を提供してくれたと考えることができる。つまり悪いストレスが、良い刺激に変わるのだ。ただしせっかく出来た友達を失いたくなければ、以下のことだけはしないようにした。

・同じ悩みを何度もぐちぐちと言い続けること。

・同じ内容の自慢話を何度もすること。

・相手にも役立つ話に限ること

 

「ストレス解消の例」

いま流行りの煽り運転を例に、感情をコントロールする方法を説明してみよう。煽り運転をされると、多くの人は腹が立つはずだ。あるいは恐怖を感じるかもしれない。運悪く煽り運転に遭遇してしまったら、まずは減速して道を譲ろう。危険を回避することが最も重要だ。安全第一である。相手が去っても、腹が立ったままだろう。そういう場合は、まず第一に理性で抑制だ。

煽り運転をした人は、トイレを我慢してるのかもしれない。あるいは出産で母子ともに危険になり、励ますために来て欲しいと言われているのかもしれない。急ぐには理由があるのだろうと、理性的に考えてみると、感情は一時的に抑えられる。

第二に、別の感情を引き起こして誤魔化してみよう。まず冷静に道を譲った自分を褒めて、嬉しい感情を引き出そう。次に、気分が軽くなる音楽や、美味しい食べ物などで気持ちを紛らわそう。

第三に、煽り運転されたことを、誰かに話そう。「こんなことでイライラしてもしょうがないよね」「道を譲って関わらないのが一番だよね」など、有益な情報を共有しよう。結果的に、社会に有用な情報を提供できた。その満足感によってストレスはおおいに軽減されるであろう。

 

「感情の抑制と社会格差について」

他人の話を聞く人は、情報力に優れている、共同作業もしやすい、何より他人と良い関係を構築して支え合って生きることができる。当然、収入も多くなる。他人の話を聞かない人は、友達リストから外されるので孤独だし、共同作業ができないので貧乏だ。こうした人々は孤独を紛らわすために目的を持った集団をつくる傾向がある。テロリストや反社会勢力、反政府組織に属し、共通の敵(社会や政府)を攻撃することで連帯感を得ようとする。これが現代社会における分断と格差の原因なのだ。現代社会は貧富の差が原因の格差社会と言われているが、貧富の差を解消するだけでは、社会格差は決してなくならない。

工業化の発達、コンピュータやインターネットの普及、電子デバイスの発達によって、社会は急変し複雑化した。それまで他人の話を聞けばできたことが、できない、全く役に立たない事態が生じている。また社会が複雑になって、他人の話がそもそも理解できないことも増えた。にもかかわらず、他人に話を聞いてもらわないと気が済まないという本能だけが残っている。

現代社会は、そもそも共感がしにくい社会なのだ。だからこそストレスの発散もしにくい。それを自覚することが第一歩である。このような高ストレス社会を生き抜くための方法は、手探りの模索途中である。人はいつかその方法やノウハウを身につけていくだろう。一つの方法として、SNSを利用して自分とつながる人の量を物理的に増やすという方法も良いだろう。

また、経済的な意図を持って、人に共感することで接近する新手の詐欺も現れている。ヤクザであったり麻薬であったり、ネトウヨや振り込めサギ、結婚サギ、宗教サギなど様々だ。こうしたものに引っかからない注意も必要だ。

 

他人を理解し共感することは、人を愛することより難しい世の中になってきた。だが、人間の本能がそれを求めている以上、人間はその方法を追求していかなくてはならないのである。

発達障害と不登校3「発達障害を自力で治す方法」

おっといきなり怪しげな民間療法に突入したかと思わないで欲しい。発達障害は、原因不明で治療法はないのだ。脳機能や神経機能の不全が原因というのも、推測にすぎない。だが投薬や訓練によって、ある程度症状が緩和できる。

 

発達障害を自力で治す究極の方法は、「誰かに支援を求める」ということだ。実際「自分は発達障害ではないか」と思う多くの人が、それを認めなかったり、隠したりしている。またそのうちの多くが擬似発達障害と呼ばれる脳機能不全を伴わない後天的なものである。そして症状が軽いうちに支援を受けなかったがために、重い精神障害に陥ったりする。

しかし、「なんかうまくいかないな」ぐらいに感じている人に、いきなり精神科に行けというのはかなりハードルが高い。また精神科におけるカウンセリングも、話を聞いたり投薬に頼るだけという不十分なものが多いのも実情だ。

 

思考不全を起こしているときに、実に簡単な対処法というのもある。それは思考を他人に委ねることだ。つまり宗教にハマることである。思考を他人に委ね、思考停止してしまえば、思考不全で悩むことはない。自分で考えるのを放棄してしまうのだ。ただそれは、人間性の放棄とも言えるので好ましいとは思えない。また宗教側にとっても原理主義がはびこる原因となるので好ましくはないはずだ。ちなみに私は、宗教にハマることと、信仰心を持つことは、全く別だと考えている。

 

繰り返しになるが、発達障害と擬似発達障害は別物である。しかし緩和法は同じような手法だ。「感情を抑制し、理性を働かせ、多角的な思考を行う」こと。実はこれを念仏のように唱えているだけである程度の効果がある。

 

スターウォーズには「ヨーダ」という小さな緑色の友達が出てくるが、この師匠が言うには「怒り」は「恐怖」につながり「恐怖」は「憎しみ」につながると言っている。しかし800年間も弟子を育てたわりに、それに対処するために「忍耐」しか言えないのはいささか寂しい。日本語にはこの点、感情を抑制する言葉がいくつもあり「水に流す」とか「くよくよしない」「根に持たない」「頭を冷やす」「固執しない」「肩の力を抜く」「我にかえる」「正気を取り戻す」「気を確かに」「落ち着く」「冷静になる」など、優れた作用をもたらしている。

しかしヨーダは優れたことも言っている。それは感情が、使えば使うほど強化され、暴走しやすくなるということだ。次章では、感情を抑制、あるいはコントロールする方法について述べる。