ひーらぐ日記

自然をこよなく愛する写真家?趣味や興味や楽しかったことだけ書く。

発達障害と不登校4「感情のコントロールと内的ストレスの軽減」

人間は外部から刺激を受けると、感情が生じて心身に様々な反応を引き起こす。

外部からの刺激を、外的ストレスと呼び、感情によって脳内に分泌され、心身に反応を引き起こすのに使われる命令物質を内的ストレスと呼ぶことにする。ここでは感情をコントロールすることで、内的ストレス(以下ストレスと略す)の量を調整する方法について述べる。


「ストレスはない方が良いのか」

ストレスは、悪い出来事ばかりではない。宝クジが当たった人が心臓麻痺で死ぬ、嬉しくて涙が出るというように、一般的には良いと思われることでも生じる。悲しいことや、嫌なことだけでなく、嬉しいことや楽しいことでもストレスは発生するのだ。ストレスは、感情によって生み出されるエネルギーのようなものだ。人間はこのエネルギーを使って身体を動かしている。ストレスが足りなければ、何もする気が起こらず、身体は動かない。ストレスなしでは、頑張ることも危険を避けることもできないのだ。一方で、ストレスが多過ぎると、心身が壊れる。あるいは、心身が壊れないように、様々な防御反応が起こる。頭が痛くなったり、涙が出たりするわけだ。


ストレスは感情の働きによって脳内で分泌される物質によって引き起こされる。感情の量をコントロールすれば、ストレスの量をコントロールできる。それでは、感情をコントロールしてストレスを軽減する方法を解説しよう。


「感情の使い過ぎ、使わな過ぎに注意」

腹が立つことがあったとしよう。しかし怒りすぎてもいけないし、いつまでも怒っていてはいけない。忘れることが必要だ。何故なら、感情は使えば使うほと強くなるようにできている。必要に応じて能力が強化されるのだ。怒れば怒るほど、怒りっぽい人間になる。


目の前に他人がいると想像して、以下にあげる事項を見て欲しい。自分や大切な人に対して、

・殺そうとしてくる

・なぐってくる

・肩がぶつかった

・怒鳴られる

・指を指される

・近づく

・話しかけられる

・何もしないでいる

以上のうち、最初の「殺そうとしてくる」で怒りが最大限になるのであれば、平常状態である。しかし、怒りを使い続けると、段々と下の方の出来事でも怒りが最大限になるようになってしまう。感情は強くなりすぎると暴走するのだ。

一方で、感情は使わな過ぎると体が動かなくなる。「怒るのが嫌で、自分は何に対しても絶対怒らない」などと考えている人は、危険が近づいてきたときに何もできないだろう。自分の感情が過敏なのか、過少なのか、自己分析することが常に必要だ。


「楽しいことでもストレスは産まれる」

ストレスは感情によって脳内で生み出されたエネルギー生成命令物質であるから、怒りだけではなく、喜びや愛情など良いイメージのものでも発生する。全ての感情には、生物が生存するための戦術的理由がある。何故その感情が利用されているのが、以下に例示しよう。それぞれの感情には、生物が生き残るために必要な目的があることを理解して欲しい。

 

・喜びと悲しみ

仲間や味方をつくるために利用される。群れをつくる生物に多く現れる。

・怒りと恐怖

敵を追い払い、あるいは敵から逃げるために利用される。

・あこがれと嫉妬(悔しさ)

向上心、生物個体が能力を向上させるために利用される。

・安心と嫌悪

安全確保のため、個体が安全に生息して活動する場所や環境を取得するために利用される。

・愛と憎しみ

繁殖のために利用される。

 

また一見すると相反すると思われる感情も、根源は同じ場合があり、一方の感情が敏感なると、もう片方の感情も過敏になることがある。例えば、楽しいパーティーが終わったとき、寂しくなったりするのは、そのせいだ。同様に、怒りを感じやすくなれば、恐怖も感じやすくなる。こうした傾向を理解しておけば、感情をコントロールし、ストレスの量を調整することが可能だ。

 

「ストレス過多を防ぐには」

感情をコントロールする方法の第一歩は、その感情が現在の自分にとって必要か否か、得か損か、あるいは多いのか少ないのかを考えることである。特にストレス過多のときは有効だ。なぜなら理性を働かせることは、それ自体が感情を抑制することになるからだ。人間の脳は、脳幹からの命令が大脳皮質を通じて伝達される。感情によって産まれた命令を理性のフィルターをかけて選別することができる。

理性のうち最も有効に働くのは、「損得」だ。「短気は損気」「慌てる乞食はもらいが少ない」という諺があるが、感情は理性で抑えうることを示している。自分の感情とそれによって産まれる行動が、自分にとって損なのか得なのかを考えることは、感情を一時的に抑制するのに有効である。


しかし理性で感情を抑制することは、一時しのぎに過ぎない。また抑制しすぎると爆発する危険性がある。思い切り泣いたり叫んだりして感情を発散させた方がいい場合もある。感情をコントロールする第二は、別の感情で誤魔化すことである。腹が立ったときは、何か楽しいことを考える。不安なときは愛する人のことを考える、このように、全く別の感情を働かせることにより、感情はある程度抑制できる。この方法のメリットは、感情によって刻まれる記憶を薄める効果があることである。悲しくなったり腹が立ったとき、嬉しいことや楽しいことを考えれば、悲しみや怒りの記憶が曖昧になる。自分にご褒美を与えるのもこれに類する。美味しいものを食べたり、部屋を片付けて達成感を得たり、欲しいものを買う、化粧する、着飾るなどして満足感を得たりすることだ。人間は記憶を反芻することで、感情を強化する傾向がある。他の感情で誤魔化すことは、記憶の定着を防止する効果があるのだ。


しかし第二の方法も、感情のコントロールとしては不完全である。大きな感情の揺れを、別の大きな感情で抑制しようとすれば、精神的に不安定になるのは避けられない。そこで第三の方法が必要になる。感情を弱くし、安定化させる方法だ。

 

「感情を安定化する方法」

以上までで、感情とストレスと心身についての関係が理解できたと思う。感情によって心身を動かすための活性化命令物質、つまりストレスが発生し、ストレスが多すぎると暴走して心身に異常が発生するということだ。ストレスは脳内分泌物、脳内麻薬と言ってもいい。

実は人間には、自律的に感情を安定化させる機能が備わっている。何もしないでいるだけでも、感情の波は自然におさまるのだ。瞑想とか、座禅のようなものがこれに当たる。現代人には難しいかもしれないが、何もしない、という時間は精神の安定には必要だ。「ひとりになる時間が欲しい」というのもこれに当てはまる。さらに、精神を安定化させるための物理的な方法もある。風呂に入る、動物に触る、エステやマッサージを受ける、適度な運動をする、日光を浴びる、いわゆる気分転換と呼ばれるものも、精神を安定化させる効果がある。逆に精神を不安定化させる要素、寝不足や疲労、苦痛といったものは出来る限り取り除くことが望ましい。


だが不思議なことに、人間は休んだり気分転換をしただけでは感情がおさまらないことがある。人間という種が持つ特殊性にその理由がある。


「感情がおさまらない理由」

なぜ人間は、休むだけで感情の波がおさまらないのだろうか。生物としては異常な、不利な性質と言える。しかしちゃんと理由がある。実は人間は、様々な出来事によって引き起こされた感情と、それを理性で行った分析結果、結果に基づいて行った行動について、他人に発信し、共有しないと気が済まない生物なのである。感情の共有、知恵の共有、知識と経験の共有、これを行わないと感情の波から解放されないように人間は出来ている。これは人間という群れをつくる種が生き残るために身につけた生存本能である。「人に話せば気が楽になる」「誰かに分かって欲しい知って欲しい」「文書を書いて発表し他人に読んで欲しい」「俺の歌を聴いて欲しい」こうしたものは本能に基づく欲求なのだ。何故このような性質が身についてしまったのか、恐らくは人間が群れを作って行動するうちに群れから離れる個体が現れないようにするための抑止力だったのであろう。

人は孤独では生きていけない、人間は人の間と書く、人という字は人が支え合っている、こうしたことはよく言われるが、その理由がこれだ。


「他人に話を聞いてもらう方法」

人間は、自分の気持ちを他人に聞いてもらうことで精神を安定化させている。それによって生存に必要な情報を種全体で共有化し、生き残りを図っている。では他人に話を聞いてもらうにはどうすればよいのだろう。正確に伝えるための言葉の学習は必要だ。感情を抑制し、理性的に論理的な思考をすることも必要になる。ゆっくり、分かりやすく、繰り返し話すなどのテクニックも必要だ。できることは、自分でする自立した人間にならなければ出来ない。例えば「部屋が汚れててイライラするのよね」と言われても「じゃあ片付けろよ」としか思われない。相手にとって有用な情報でなければ聞いてもらえないのだ。部屋を掃除したうえで、「掃除って大変よね、なにかいいテクニックはない?」と聞かれれば、会話も弾むというものである。自分の出来ることは自分でやる、自立した人間になって、はじめて人間社会で他の人間に相手にしてもらえるのだ。

感情のコントロールであれば、感情を抑制するところまでは自分でできなければならない。そうした上で、他人に話を聞いてもらうにはどうすれば良いか。それにはまず相手の話を聞くのである。

 

「友達は財産だという意味」

人間は本能的に、自分の話を聞いてもらいたい生物だ。だから他人の話を聞こうとすれば、簡単にできるであろう。まずは自己主張しないで、相手が何を伝えたいのか聞いてみよう。そして最初は、自分の意見は言わないようにして、共感だけするようにしよう。すると相手には、自分の話を聞いてもらったという借りができる。自分にとっては貯金のようなものだ。こうしてせっせと貯蓄を増やしていくとよい。そうすると、自分がどうしても他人に伝えて発散したいときに、話を聞いてくれる友達が自然と増えているはずだ。

相手の言いたいことを引き出すテクニックも必要になる。場合によっては言いづらいことを言わせる、それだけの信用を得るに足る人間になることも必要だ。そして、自己主張ばかりして話を聞いてくれない人は、友達リストから外してもよい。人はそれぞれ個性がある。好悪の別もある。無条件に話し合える存在というのはとても希少なものだ。そういう友達は、貴重であり、財産であり大切にしないといけない。お互いの話を、お互いに聞き合える関係の友達ができたら、少しずつ自分の思いを伝えてみよう。

最初に、「ちょっと話を聞いて欲しい」と言ってみよう。友達との良い関係を築ければ、例え嫌なことがあっても、友達との絆を深めるための話題を提供してくれたと考えることができる。つまり悪いストレスが、良い刺激に変わるのだ。ただしせっかく出来た友達を失いたくなければ、以下のことだけはしないようにした。

・同じ悩みを何度もぐちぐちと言い続けること。

・同じ内容の自慢話を何度もすること。

・相手にも役立つ話に限ること

 

「ストレス解消の例」

いま流行りの煽り運転を例に、感情をコントロールする方法を説明してみよう。煽り運転をされると、多くの人は腹が立つはずだ。あるいは恐怖を感じるかもしれない。運悪く煽り運転に遭遇してしまったら、まずは減速して道を譲ろう。危険を回避することが最も重要だ。安全第一である。相手が去っても、腹が立ったままだろう。そういう場合は、まず第一に理性で抑制だ。

煽り運転をした人は、トイレを我慢してるのかもしれない。あるいは出産で母子ともに危険になり、励ますために来て欲しいと言われているのかもしれない。急ぐには理由があるのだろうと、理性的に考えてみると、感情は一時的に抑えられる。

第二に、別の感情を引き起こして誤魔化してみよう。まず冷静に道を譲った自分を褒めて、嬉しい感情を引き出そう。次に、気分が軽くなる音楽や、美味しい食べ物などで気持ちを紛らわそう。

第三に、煽り運転されたことを、誰かに話そう。「こんなことでイライラしてもしょうがないよね」「道を譲って関わらないのが一番だよね」など、有益な情報を共有しよう。結果的に、社会に有用な情報を提供できた。その満足感によってストレスはおおいに軽減されるであろう。

 

「感情の抑制と社会格差について」

他人の話を聞く人は、情報力に優れている、共同作業もしやすい、何より他人と良い関係を構築して支え合って生きることができる。当然、収入も多くなる。他人の話を聞かない人は、友達リストから外されるので孤独だし、共同作業ができないので貧乏だ。こうした人々は孤独を紛らわすために目的を持った集団をつくる傾向がある。テロリストや反社会勢力、反政府組織に属し、共通の敵(社会や政府)を攻撃することで連帯感を得ようとする。これが現代社会における分断と格差の原因なのだ。現代社会は貧富の差が原因の格差社会と言われているが、貧富の差を解消するだけでは、社会格差は決してなくならない。

工業化の発達、コンピュータやインターネットの普及、電子デバイスの発達によって、社会は急変し複雑化した。それまで他人の話を聞けばできたことが、できない、全く役に立たない事態が生じている。また社会が複雑になって、他人の話がそもそも理解できないことも増えた。にもかかわらず、他人に話を聞いてもらわないと気が済まないという本能だけが残っている。

現代社会は、そもそも共感がしにくい社会なのだ。だからこそストレスの発散もしにくい。それを自覚することが第一歩である。このような高ストレス社会を生き抜くための方法は、手探りの模索途中である。人はいつかその方法やノウハウを身につけていくだろう。一つの方法として、SNSを利用して自分とつながる人の量を物理的に増やすという方法も良いだろう。

また、経済的な意図を持って、人に共感することで接近する新手の詐欺も現れている。ヤクザであったり麻薬であったり、ネトウヨや振り込めサギ、結婚サギ、宗教サギなど様々だ。こうしたものに引っかからない注意も必要だ。

 

他人を理解し共感することは、人を愛することより難しい世の中になってきた。だが、人間の本能がそれを求めている以上、人間はその方法を追求していかなくてはならないのである。