ひーらぐ日記

自然をこよなく愛する写真家?趣味や興味や楽しかったことだけ書く。

メイドインアビス 深き魂の黎明 映画を見た感想を書いてみました

こんにちは。劇場版メイドインアビス〜深き魂の黎明をご覧になりましたか?「素晴らしい」ですねー。漫画版も楽しいですが、映画になってより分かりやすくなったように思えました。なんと言っても黎明卿ボンドルドがカッコよかった。ファンになってしまった人も多いのではないかと思います。…そんなはずはない?いえいえ、極悪非道な行いと本人の魅力とは関係ありません。何がそれほど魅力的なのでしょうか?

 

(以下ネタバレを含みます)

 

黎明卿は、世界中から孤児や捨て子などを集め、アビスの謎を解明するための人体実験に使っています。その動機はアビスに対する好奇心です。これは呪いのようなもので、アビスの魅力に取り憑かれた人間を「こちら側」と言うようです。あと、アビスの住民を救いたいという気持ちも少しあるようです。アビスでは2000年ごとに住み着いた人間の全生命を消費する一大イベントがあり、それを乗り越えるために「祝福」が必要だと考えているようです。そのイベントは誕生日になると死んだ人々の魂が、アビスに還って積もることで発動しそうです。アビスとは巨大な食虫植物のようなものでしょう。

黎明卿の目的が、世界征服だとか、復讐や己のつまらない欲望を満足させることだったら、これほど魅力的なキャラクターにならなかったでしょう。好奇心を発揮し、日々研究と実験を繰り返し、人類の幸福のために邁進する勤勉な方です。

そして他人に対し、とても寛容な人です。お母さんを探すことと、黎明卿のやり方が気に食わないだけの三人に対し、決して否定したり馬鹿にしたり非難したりしません。戦って負けたあとも、相手を賞賛し、文字通り祝福しているのです。他人の趣味をけなしたり、自分の正義に合わないからといって他人を非難するような最低の人間が闊歩する風潮の中で、この包容力は魅力的です。

さて、黎明卿を語るのに外せないのが、娘のプルシュカの存在です。夜明けの花、暗い闇のあとに訪れる希望の象徴という意味でしょう。黎明卿は血の繋がりは「ない」ではなく「薄い」と言っていました。ゾアホリックとは、単に黎明卿の人格を移植するだけでなく、祈手の人格まで統合するものなのではないでしょうか。黎明卿は彼女をバラバラにしてカートリッジに詰め、自分の肉体を呪いから避け、祝福を受けて強化するために使いました。その行為を「愛」と呼んでいます。黎明卿の役に立ちたいというのがプルシュカの願いでした。またカートリッジは、携帯性を高めるとともに詰められた子供の痛みや苦しみを軽減するよう作られています。プルシュカのカートリッジが使われたときに、黎明卿の姿が他と比べ大きく変わったのは、二人の相互愛が大きかったことを意味します。

一方で、リコたちや観客にとっては、ヘドがでるほどの気持ち悪さと嫌悪感を感じます。特にナナチは、カートリッジがナナチとミーティの実験の産物であることや、自分がカートリッジを作る手伝いをさせられていたことから、怒りMAXでしょう。

両者の感覚のずれについて、ナナチは「やつと話をしていると…」と述べています。このずれ感が良いです。お互いの理解を進める時間もなかったですからね。

メイドインアビスは、愛とは人によって形が違う、そもそも歪なものであり、他者から見れば嫌悪の対象でしかない、ということを教えてくれます。自分の好みでない人からの好意はキモいですよね。でも愛であることは明白です。むしろ世の中の争いごとの全ては、愛が原因であるとも言えます。愛は全てを救うなどというのは、たわ言に過ぎません。愛の違いによって戦いは起こるのです。

メイドインアビスでは「憧れ」「価値」「呪い」「度し難い」などのワードが出てきますが、要するに「愛ですよ、愛」。愛がテーマの文学作品では、愛とは何かという問いに対し、母親の子供に対する愛が最高、みたいな結末が多いです。それは単に普遍性の問題でしょう。母親がいない人間などいないのですから。

というのも、漫画では第6層で、母親の愛を明白に否定しようとしているからです。

 

(以下6層のネタバレを含みます)

 

6層では、イルミーユという娘が産んだ子供たちを巡って争いが起こります。この子供、消化器官がなく生まれてすぐ死ぬ運命にあるのですが、この子供を食べると6層の不治の病が治るため、リーダーのワズキャンが調理してキャラバンのメンバーに振舞います。巨大な村に変化したイルミーユに、罪の意識に苛まれたメンバーが身体を差し出して囚われの身となります。唯一健康に生まれた子供のファプタが、村の人間を皆殺しにするストーリーです。

まだ未完ですが、結末をとても楽しみにしています。ファプタの母親に対する愛と、イルミーユの愛が衝突して悲惨な結果になることが予想されるからです。どちらの愛が勝つにせよ、後味の悪い悲劇にはならないはずです。

6層でもうひとつ衝撃的なのは、ミーティーがいたことです。もし魂まで一緒なら、実験に使われた子供たちも生き返ることが可能なら、黎明卿のしていたことは、全く道理にかなったことであり、リコたちが馬鹿ということになってしまいますね。

 

(ここまで6層のネタバレ)

 

それにしても、黎明卿の登場で評価があがったのが、不動卿のオーゼンさんです。登場していたときは、単なる性格の悪い意地悪な変態おばさんと思われていたのに。

オーゼンさんにとっての愛は、親友ライザの子供であるリコを心配する気持ちと、それに対し命を無駄にするとしか思えない無謀な挑戦への怒りとなって現れたのでしょう。愛とは他人にはなかなか理解できないものですね。

 

ところで、好奇心旺盛な黎明卿が、6層以下に祈手を送ってないわけありませんよね。倒されたときも、「この身体がだめになったのは…」と言ってまして、死んだとは一言もいってないですよね。ぜひまたお会いしたいですね。みんなでアンブラハンズになって黎明卿を応援しましょう。

少女終末旅行の分析1 最後の希望

1巻から6巻まで、読みながら考察したことで読み飛ばしたり、気がつかなかった点をまとめることができた。続いて分析をしてみたいと思う。

物語の全体構成は、ループ式となっている。つまり始まりがあって終わりがあるタイプや、長い時間の一部を切り取ったタイプ、風呂敷を広げて畳むタイプではない。物語の中でも螺旋構造をモチーフにしていたように、ぐるぐる回りながら進んでるのか戻っているのか分からない状態が延々と続くタイプである。

第1話の終わり方と、最終回の終わり方が一緒であること、中間地点のエピソードが螺旋であること、暗い中や雪の日など、同じような始まり方のエピソードがあり、登場人物がそれに言及する場面もある。

最終回であるが、かなり早い段階で終わり方を決めていたのではないだろうか。途中で悩んだかもしれないが。

各巻ごとの構成は、起承転結がはっきりしている。巻の終盤の3エピソードを使って、ゲストを登場させ、それぞれの生き方を二人に考えさせるという構成だ。1巻から、カナザワ、イシイ、自律機械、ヌコとエリンギ、人工知能である。6巻はチトのモノローグがそれに代わるものになっている。

各話の構成は、あらかじめ決められた状況にキャラクターを配置して自由に行動させる方法を取っている。つまり場所やアイテムを配置し、そこをキャラに動いてもらって反応を見るという流動的な方法だ。話がお約束でどこかで見たような流れになるのを防ぐ効果がある一方で、だらだらしたよく分からない展開になる危険性がある。

キャラが独り歩きしたり明後日の方向に話が進まないよう、優等生的で理屈っぽいまじめキャラのチトがストーリーを進める役割を担う。反対に、能天気でバカで説明が必要な突っ込まれ役のユーリは、物語の全体を明るく楽観的な雰囲気にすることと、本能的なカンで正解を導きチトの疑問に対する答えを用意する役割を担っている。

物語のテーマは、生きるとは何か、である。副次的に、戦争とは何か、戦争とは何か、記憶と記録は何が違うか、食物連鎖とは、、人はなぜ生きるのか、生き甲斐とはなにか、生命とは何か、宗教とは何か、死後の世界はあるのか、家とは、音楽とは、人はなぜ努力するのか、道に迷うとは、料理とは、思い出とは、時間とは、未知への不安と興味とは、兵器とは、未来と過去とは、食の楽しみとは、死とは、芸術とは、忘却とは、郷愁とは、好奇心と探求とは、文明とは、などのサブテーマが提示される。

友情とか愛とか、欲望や憎しみなど心の光と闇のテーマが希薄である。二人の関係も、恋人とも友人とも言えない中途半端な状態だ。これはメインテーマを浮き彫りにするためにあえてそうしているのであろう。

物語の世界観とコンセプトは、ディストピア系である。崩壊した文明と滅びゆく人類。人間以外の生物は絶滅し、人々の生活を支えていた都市やインフラ、食料やエネルギーなどの生産施設は故障し、残った人々は遠くない未来に全員死ぬ運命にある。

最終回がバッドエンドなのか、別の可能性が示されているものの、生きるとは何かというテーマを語る上で、最終的な死が予定されているように思える。どのみち寿命があるのだ。つまり、どうせ死ぬし、生きている間に何をどう努力してもなんにもならない状態にすることで、それでも生きる意味は何かを問いかけているのだ。

簡単な例を示すと、お腹が空いていれば粗末なものでも美味しく感じるし、満腹であれば豪華な料理でも幸せを感じない。食べるものも住む場所も着る物も不自由しない生活をしていれば、何を手に入れてもあまり喜びを感じられないが、何一つ持っていないときは、少しの獲得でも大いに喜べる。客観的な幸福と、主観的な幸福感は違うのだ。色即是空の思想である。

物語の最後、二人は持っていたものを次々と失っていく。失うことによって、二人の価値は究極まで高まる。死とは、個体の終わりであるが、個体を世界の一部と考えるなら、過去と未来と、個と全の大きな流れは続いていく。生きている間に何をしようがしなかろうが、人生には過去の影響があり未来へ影響するし、世界全体から影響を受けて、世界全体へ影響を及ぼす。世界とのつながりを感じられれば孤独や不安から解放される。

飽食や物と情報の洪水で溢れている現代日本社会へのアンチテーゼも少し感じられる。少しのことでは喜べないため、幸福感のない社会になっている。麻薬やギャンブルなど過激な快楽を求めるのもそうだ。しかしそれはメインテーマではないようだ。

このように、生きるとは何か、というテーマを語りやすい世界観を用意して二人の冒険が始まるのだが、登場するゲストについても共通点がある。無駄なことをやり成功しない点だ。

カナザワの地図づくりは、そもそも新しい場所へ進む二人には役立たない。意味のない生き甲斐である。イシイの飛行機も失敗する。一匹の魚を育てる自律機械の行動も無駄だ。エリンギは地球を停止させ終了させている。人工知能はどこにでも行けて、不老不死の無忘却という完璧さにもかかわらず、自殺する。

コンセプトからすると、二人が目指した最上階には何もないのが当然なのである。

全く無駄なことをしてきた結果、得られた結論が、生きるのは最高だった、ということだ。

人はなぜ生きるのか…生きるのは最高だから

生き甲斐とは何か…生きてて楽しくなるもの

食べることは嬉しい

寝るのは楽しい

暖かいのは嬉しい

誰かがいると寂しくない

暗いのは怖い、明るいのは嬉しい

戦争はバカバカしい

記録は大事

嫌なことは忘れよう

生きることに意味はないけどいいこともある

世界と自分と現在と過去と未来はつながっている

二人の何もない旅を通じて、こうした当たり前のことを思い出させるのが物語のコンセプトなのだと思う。

もちろん、これで全部ではない。

自律機械のところで、生命とは何かという問いに対し、終わりがあるのが生命だと答えている。一方で、螺旋では毎日ぐるぐる回ってどこへたどり着くのかが生きることだと言っている。アニメのエンディングでは、終わるまで終わらないという言葉が出てくる。

世界は終わり文明は滅んで地球は眠りにつくのに、物語は終わらないのだ。漫画としては完結したが、無限に考察できる可能性を残した。

ハードSFと呼ぶべきなのか、世界観の説明を故意に省き、読者の想像力に任せるというスタイルと相まって、終わらない作品になった。エンディング後も、どのようなストーリーにでもできる無限の自由を創造した。

極端な例であるが、最終回後の二人について、いくつかの可能性をあげよう。

頂上の黒い石が軌道エレベーターの軌道キーとなり、月へ向かう可能性がある。実際それを想起させるようなアイテムが提示されている。月から火星、木星土星と同じような物語が続き、ときどき人や機械に会い、当初の目的を忘れて先へと進む話も良いかもしれない。

オールマイティーな存在のヌコは何にでもなれる。宇宙人でもいいし、進化した人類でも、機械生命体でもいい。彼らは何でもできるので、何でもありの方法で二人を救えるだろう。原潜での説明を聞く限りでは、進化した機械のように思えるが、人間との融合体かもしれない。進化した人間と機械の融合体が、地球にかつての環境を復元しようと復元した人間の子孫がチトとユーリだったら、ちょっと怖い。

月に行こう、が伏線の可能性があるなら、ちーちゃんが神なのでは、も伏線の可能性がある。死後にヌコと融合したチトは、地上世界に人類社会を復元ためエリンギを従えて降臨する。ユーリは、さかなかな?

エリンギが人間社会を復元したい気持ちは分かる。つまり人間が自分を生み出した自然環境を保全したいのと同じだ。

二人が死後にエリンギに食べられて人格のデータだけになり転送される可能性だってある。サイバーな空間で立体映像として地上世界に戻り、幽霊となる。ちなみにタバコを吸うと見えるらしい。

複製芸術博物館の中央にモノリスがある。モノリスと言えば2001年宇宙の旅で、人間を精神体にして宇宙の別の場所に転送するものだ。外太陽系探査船が黒い石を発見し、地球脱出の経路を得たことで、方舟計画が中止になったのかもしれない。

チトは手の届く範囲が世界だと言った。無限の想像力があれば世界は無限に広がるとも言える。

 

20世紀の世紀末に、終末観漂う作品が多く生み出されたのに対し、なぜ今になって少女終末旅行が生まれたのか。本当の終わりが見えたからかもしれない。

つまり、機械が進化して生命を持ち地球から他の星に広がっていくという未来である。その場合、現代は機械生命体が生まれる前の原始的な状態と言えるだろう。

そのとき人は機械に死をプログラムするのであろうか。記憶を記録に変えて、人格をリセットする機能は付けるかもしれない。また機械が自律進化してそうなるかもしれない。

いずれにせよ、地球という生命の役割がそれで終わるかもしれない。

もう一つの考え方として、生きるとは終わるのではなく、変わることだというものがある。その場合未来はもっと明るいイメージで語られるだろう。

 

 

考察しながら読む少女終末旅行「45睡眠/46沈黙/47終末」

最終話である。扉絵は手を繋いで螺旋階段を登る二人である。車を失った二人は本当に死にかけている。アイスバーンの坂を登っているので、まだ外壁のようだ。銃を投げ捨てるユーリ。置いてくのが可愛そうだかららしい。ユーリにとっての相棒だったのだろう。弾を残すのは爆薬の起爆用である。二人の歩いているところをみると、そもそも車で行けない場所もある。近道をしているのだろう。

大事にしていた本を燃やすことでより切迫感がある。この行為には、記録を失うという意味が込められている。人間性というか文明の喪失である。文明を失うと生命としての人間性が表層化してくる。最初に燃やすのはユーリが燃やしてゴミとかクズとか言われた河童である。先に進むとどんどん大型の機械が出てくる。

日記を燃やし始めて、チトのモノローグが始まる。記憶とは曖昧なものだ。主観的に大切な記録を取捨選択して都合のいいように捻じ曲げたものが記憶である。それが人格を形成している。記録がなくなると、記憶が曖昧になり、人格も不安定になる。記録が消えると記憶も薄れて、やがて人は単純な動物になっていく。

記録を失うことで、自分が自分でなくなっていくことに恐怖していたチトである。

ようやく内部への入り口が見えた。この中には螺旋階段があり、最上階まで登ることができる。ここで再び螺旋である。つまり読者の復習というわけだ。生きるとは、ひたすら同じことをグルグルと繰り返しながら進んでいくことだ。その最後になる。日記も最後ということは、全てを出し切ったということだ。

ランタンが消えたところで、ユーリが暗闇を苦手にしていることを告白する。今まではチトに知られたくなかったことなのかもしれない。それもどうでもいいくらい、二人は最後の力を絞っている。再びチトのモノローグが始まり、生きるとは何か語り始める。その哲学は禅というか、全は個にして個は全なり個は孤にあらず、一は全、全は一という古代東洋の宗教観を表している。つまり多くを失ったことで、個を失うことは全につながることに気づき、ユーリを通じて自分と世界が一体となったと感じているのである。

最上階に着くと、黒い石があるだけであった。チトは自分のとってきた道を後悔?というより他に何かできた可能性があったのではないか考えずにいられないようだ。ユーリは単純にそれを否定してくれる。

こうして、生きるとは何かということに対する答えを見つけて、物語は終わりになる。

二人のその後であるが、物語は出発点に戻ったとも言える。食料が尽きて星空の下で二人で眠るというのは、第1話のエンドと変わらない。螺旋をグルグル回って、最初に戻ったのだ。これから下に降りるのか、別の都市を目指すのか、月へ行くのか。自分の手の届く範囲が世界の全てというのは物語に当てはめることができる。つまり語られた内容から未来を予測するの無理だということだ。

ところが、チトとユーリというキャラクターに対する愛が溢れているためか、最終回後も二人が生きられる可能性というかヒントがあちこちにちりばめられている。都市の廃墟の中には、サイコロみたいな建築物に絵があり、螺旋階段の上に黒い石があり、そこから点線が月に伸びている。またそのようすを管理AIが監視しているように見える。また近くには第1〜5基幹塔があり、管理AIが生きている可能性が高いことを忘れてはいけない。同じく箱の絵には、二つの天体から軌道エレベータと人工大陸のようなものが伸び、それが定期的に重なって往来できるシステムが描かれてている。それと同じ絵が黒い石を覆う氷の下から出てきており、スイッチのように光っている部分がある。

水の中にエリンギが二匹いて、潜水艦と同じぐらいの大きさになっている。エリンギは再び人類が地球に降りたったときにエネルギー源の役割を果たすのであろう。またはエリンギは宇宙船になるのかもしれない。ぬこがあっさり二人と別れたのも、将来再開すると知っていたのかも。大きくなったぬこが二人を迎えに行くのはありえる。海辺に都市と骨が見えるが、上空にある点線は人工衛星のものだろう。二人を回収して去っていったとも考えられる。黒い石の光っている部分は電車の位置表示と同じものに見える。

などなど様々な解釈の余地を残しているのは、二人の物語は終わるが、ここから世界の物語が始まるというメッセージかもしれない。

考察しながら読む少女終末旅行「41吹雪/42宇宙/43図書/44喪失」

いよいよ最終巻である。ゲストは登場せず、チトのモノローグで終わる。二人の旅はこれまで、なんの目的もなく、流されて進んできた。

旅を出発したのは、おじいさんに逃げるように言われたからだ。上を目指すのもそう。おじいさんが二人を逃したのは、戦闘で死なせるのが嫌だったのか。とにかくできるだけ長く生きていられるように逃したのである。だからゴールもない。食料と水と暖かい場所を探し、魚が落ちてくれは上に登って探し、どこか人がたくさんいて食べ物がたくさんある場所があればいいと旅をしてきた。その後エリンギより都市の生き残りが二人しかいないことが分かり、最上階を目指すことに。第6基幹塔を登り、最上階の手前まで来た。

高度は高くなり、雪と氷の世界となる。停止している超大型の建設機械が並んでいる。つくりかけの基盤のようだ。季節は春に向かっているはずであるが、雪はかなり深い。チトによると都市の外壁に近いようだ。昔の人はなぜこんな大きな都市を作ったのだろう。人口が増えすぎて階層が必要になったのか。それだけにしては高すぎる気がする。

原潜が地上にあったことも気になる。やはりかつて海水面が上昇して都市の下の方は水没していたのだろうか。それなら逃げるように上へと都市を作ることや、パイプだらけの施設も説明がつくのだ。

奥に見える坂が地図の斜面だろう。手前の穴はロケットの発射場につながっていた。ロケットはパイプが繋がっていることから、液体燃料タイプのようだ。古代文明の末期でも宇宙へ行くのは原始的な方法らしい。電子機器のほとんどは死んでいるのだから仕方ない。

太陽系の模型には軌道シミュレーション西暦云々と書いてある。文字は古代文字だ。地球から飛び立ったロケットか3つあり、軌道が表示されている。1と2は月軌道前後でバツが書いてある。制御室には書類があり、方舟計画の中止に伴う…計画、火?星基地通信途絶、予想、中止、などの文字が見える。

方舟計画とは、滅びゆく地球から人類が脱出する計画だろう。ロケットはせいぜい軌道上に出るくらいの規模だから、途中で乗り換えるのかもしれない。OSSPとは、外宇宙探査船(Outer space servey plane)のことだろう。ただその計画も中止されたようだ。何故だろう。03は成功したように見えるが。他に何か良い方法があったのだろうか。結果としては、方舟計画は中止されたが、人類は生き延びることに成功するのだ。

ロケットの手前の軌道図には、3本の軌跡の他に点線が1本ある。これが4番目の予想軌道だろう。ロケットはユーリが蹴ったので倒れたのか、チトはそう思っているようだ。倒れた場所は二人から少し左だった。また死にかけたとは、前にユーリが運転したときのことだろうか。チトが見つけたのは、なんとボイジャーのゴールデンレコードである。書いてあるのはレコードの再生方法や、太陽と近隣の恒星の位置関係などだ。ということは、探査船には人が乗らない予定だったのか。ロケットには外太陽系と書いてある。Outer solar-system servey planeかもしれない。

 

図書館は坂の途中にあるようだ。本は古代文字、つまり日本語で書いてある。裏に機械の変な模様があるのは、機械が整理してた名残なのか。チトが拾った本は、意志と表層としての世界II、建築幾何学史、たぬきの生態、おくち?、魚、冷たい宇宙など。コーヒーは補助栄養剤らしく、ミネラルなども入っているのかも。

ユーリはここに住もうかと言っている。飛行機のときもそうだが、ユーリは別にどこに行かなくてもいいじゃんと思っているのだ。目的のなくても人生を生きていけるタイプである。

おじいさんの本について述べられる。任務とは何だろう。恐らく施設のメンテナンスに必要な物資を集めることだろう。ここから、テーマにつながる。生きるとは何か、なぜ人々は生きて何かをするのだろう、何もしなくてもいいはずなのに。ただ食べて寝て生きてるだけじゃなくて、何かをせずにいられないのか。それはそういう性分だから、人の性だというのが回答である。そういう気持ちの渦みたいなものが体の中にあって動いている、と言いたいのだろうか。

手前と言っていたのですぐ最上階に着くのかと思えば、かなり距離が残っているようだ。履帯に鉄骨を挟んで切ってしまったようだ。見たところシリンダーがひび割れ、カムシャフトが曲がってしまったようだ。2人が風呂に入っている背景にある巨大な歯車はなんだろう。何かを動かす装置の部品であるとは思うのだが。

 

 

考察しながら読む少女終末旅行「38爆発/39忘却/40故郷」

チトとユーリは戦争しかない世界で生きていたようだ。食料は生産施設で作られるし、それを守るだけが市民の役目だったのではないだろうか。

第6基幹塔は、巨大な円柱である。内部には最上階の手前まで続く大型エレベーターがあり、管理AIが塔を管理している。基幹塔は1〜5の他6までしかないようだ。私はそもそも何も覚えないので忘れることもないのです。かつて似たようなセリフがあった。

爆薬は最後の自爆用に取っておくというのが通説だが、ここではそのように見えない。ライフルスコープは普段チトが使っていたものか。光の塔を爆破したことによって明かりが消え、塔本来の機能が回復する。これまで塔の中に入ったのは、螺旋の連絡塔だけで、その他のときも内部には入っていない。入れないようにしたのは管理AIらしい。

管理AIの役割は人と機械の仲立ちらしい。それも、人間の命令を機械に伝えるだけでなく、恐らく進化した自律機械と人間の交渉をしていたようだ。人と会うのが久しぶりとは、どのくらいなのだろう。他の5本の姉妹と言うからにはやはり6本の塔があったのだろう。連絡が途絶えたのは電磁波爆弾の影響だろう。

管理AIはこれから死ぬことができるのでウキウキである。自己を消滅させる権限を与えられていないらしい。もう全て終わりにしたい、無限の記憶と喪失、悲しさや嫌な記憶が積み重なって忘れられなければ死にたくなる、ということは忘れることは生きることそのものだ。忘れては困ることは記憶でなく記録しておけばいい、しばしAIや人工知能が登場する物語では、人格を形成する記憶以外を消去して文書としての記録だけ残すことで若返りを果たすことがある。このAIはそういうスキルが搭載されていなかったようだ。

私は失敗作の神様でした、と言うことはやはり寺院の神はこのAIなのだろうか。確かにステータスや髪型は似ているが、顔はあまり似ていない。神の目はむしろチトやエリンギに似ている。

ステータスが何を意味するのか全く分からない。なんとなく太陽系と人工大陸や軌道エレベーターに見える。

続いて幼少期のチトとユーリが出てくる。二人が育った街のようだ。両親はおらず、おじいさんに育てられている。恐らく全くの他人であろう。ユーリは小さいころからコントロールがいいようだ。チトの攻撃は直接である。食料は配給制らしい。本がたくさんあるのはおじいさんの仕事らしい。ユーリが針金で作っているのは魚か?

次のページからはチトの頬の赤みがなくなる。旅をしているときとほぼ同じ年頃だ。ユーリとの身長差もある。大人たちは来たる戦闘に向けて緊張している。おじいさんは二人を逃し、上に向かえと言う。廃管置き場はきっと道に迷いやすいのだろう。人間は忘れる生き物だが…というのはおじいさんが本を集めていた理由でもあるだろう。本の中には、繰り返し起こる戦争のことについて書いてあるものもあっただろう。

アニメではこの夢はユーリが原潜の中で見たことになっている。生きるのに記憶はジャマだけど、全部忘れるのは寂しい、懐かしいのは嫌じゃない。ではどうすればいいのかは書いていない。ユーリは食べ物とチトのことについては良く覚えている。つまり自分の好きなものについては覚えていていいのだろう。

考察しながら読む少女終末旅行「33水路/34怪我/35美術/36衣服/37煙草」

4巻でエリンギが登場して、物語の中核となる秘密が明らかになるのかと思えばそうでもなかった。BLAME!との類似性を指摘する論もあるが、巨大構造物だけでなく古典的ハードSFとして考察の余地を残して物語が進む点も似ている。要素としても、都市を作る建設者、ネットワークの消失、都市のハードとソフトを管理する統治局とセーフガード、管理AIなど共通点が多くある。一方で、全く違う要素として、物語の全体を流れる哲学的なテーマの存在がある。つまり「生きるとは何か」という明確なテーマがあり、それに対する答えもきちんと明示されるのである。またBLAME!が物語に一定の解決とハッピーエンドが訪れるのとは逆に、何も成功せず、謎も解明せず、問題も解決せずそもそも終わりなのかも不明なエンドを迎えることになる。

最終話の後に二人がどうなるかについて様々な解釈ができるが、実は対になる第1話の最後と状況が全く同じで、その先は何も分からないようになっている。最後の食料が尽き星空の下で二人で眠る、なんて状況は今まで二人は何度も陥っているのだ。中間点の螺旋で述べられているように、ぐるぐると同じことが繰り返されていくのかもしれない。

5巻のゲストは管理AIで、これも肝心なことは何も言わない。最上階へは明らかに大量の物資と人を運ぶエレベーターで登るのに、最上階について語ることは禁じられているかのように。

 

原潜の中にあった魚の缶詰が出てくるので、少し食料についておさらいしよう。爆撃機の中でレーションを見つけたのが3230年2月で、カメラの残りを気にしていた8月で残り30日分、飛行場でイモをもらっていたのが10月である。つまり飛行場に着いたときはレーションはほぼゼロでそれから1〜2ヶ月飛行機を作るのを手伝い、少量生産施設に着いたときも食料はわずかなレーションと手持ちのイモだけ。ギリギリである。ヌコが出てきた3231年1月には手作りレーションも少なくなっていて、3月に原潜で缶詰発見だ。ユーリが歌っちゃうぐらい嬉しいのはよく分かる。

巻末の地図?によると、風力発電所から原潜と基盤の屋上が続いている。一面氷なのは標高が高いからであろうか。ユーリはバカにされるとわりと根に持つ。二人が通っている管は倒れた照明灯の中のようだ。水を見つけた場所の円柱は上下に動きそうだ。缶詰にはローマ字でさかなと書いてある。古代文字だ。缶詰ひとつで笑えるほど美味しいと感じられるのを見て哀れと思うか共感するかは人それぞれだろう。だが二人が幸せそうなのは確かだ。もしかしたら現代人がこれほどの幸せを味わうのは至難かもしれない。つまり幸福とは主観的なものだ。

チトはエリンギに最上階への行き方を聞いていた。チトのバカとかゴミとか荷台に乗ってるだけとか、あとで全部ユーリは覚えている。

 

つくりかけの都市が出てくる。建設機械の多くは止まっており、動いているものも資材がなく役には立っていないようだ。アニメでは一度も運転をしなかったユーリがハンドルを握る。荷台に乗ってるだけのゴミと言ったことを後悔したかは分からないが、怪我をしてユーリに運転されるはめになったことは後悔しているだろう。

レールの上には建設機械が載っている。どうやら建設中の基盤殻層のようだ。基盤はこのように自律機械によって半自動的に建設されたのだろう。電磁波爆弾によって機械がネットワークから孤立している状態では正常に機能していないだろうが。ジャンプした場所を見るとかなりメチャクチャなつくりだ。動いている建設機械はたまたま電磁波の影響のない場所にいたのだろう。人間の言葉が通じないのは、かつては人と機械を仲介する別の機械がいたからだろう。

チトが泣きそうになって、疲れたと言うと、ユーリは荷台に乗ってるだけなのに?とまだ根に持ってる。

次は複製美術史博物館である。古代文明の時代の一級美術品のレプリカが飾られている。中央のモノリスは意味不明だが、人類最初の絵であるアルタミラ洞窟の壁画からダビデ像、ビーナスの誕生、落ち穂拾いなどがある一方、2020年〜2828年ごろの絵らしきものもある。

倒れている絵は、ピカソゲルニカの未来版である。古代文明の神さまや祈る人、レーザーを出す兵器、倒れた人々、鳥と人?メテオ兵器?などが描かれている。

この絵があるということは、博物館が戦争後に作られたことを意味する。機械用の印が壁にないのも、人力で管理されたことを示唆しているのか。図書館と同じく人類の記念碑的な意味で作られたのだろうか。滅びると知った人類がこんなものをつくるだろうか。いや、実際滅びていないし、どこかへ逃げて再び戻ってきたときのために作ったのだろう。後の図書館も似たような目的で作られたと考えられる。

 

遠くに光の塔が見えてきており、第6基幹塔が近づいてきた。衣服を直す道具がないのは困ったものだ。ユーリは、服が着れなくなるのが先か私たちが死ぬのか先かと不吉なことを言っているが、先日はチトがユーリの運転で二人が死ななければとか言ってた仕返しだろう。服を自分達で作るのは、先史人類に戻っていく比喩のようなものか。食べ物を探し、着るものをつくって火を起こして暮らす、というのが人の基本的な生活で、実はそれだけやってればいいのだ。

次は死後の世界について語る煙草の話である。胡麻もそうだが、火や煙は死者と接触する基本的なアイテムだ。この物語のテーマである、生きるとは何か、を語るために死後の世界があるのか、魂はあるのか死者と会話することはできるのか。

BLAME!のように死後も人格や記憶を保存する方法があるのかもしれない。寺院で死後の世界は安息の地だと神が言っているが、古代文明が絶滅したとき、エリンギとその親分の神が死者の記憶や人格を保存し、地球が安定したのちに人類を復元したという可能性もある。そういえばエリンギは、我々は生きている人間を食べたりしないと言っていたが、死んだ人間はどうなのだろう。もしかして食べられてメモリーチップにされたりして。

そして枯れた植物のシーンがある。ここは全く分からない。この場面はあってもなくても物語に影響がない。なにを示唆しているのかさっぱりだ。単に煙草の畑なのかもしれないが。そしてプリントされた写真。煙草率が高い。幻覚?が現れる。チトが死んだ人とつながる方法があると言う。それがチトの言う想像力のなせる技なのかは分からない。

 

 

考察しながら読む少女終末旅行「30過去/31接続/32仲間」

4巻の後半に入る。4巻におけるゲストは、エリンギと呼ばれる知的生命体だ。エリンギが生物由来なのか機械由来なのかは不明だが、3巻で「機械も生命のようなもの」としているのはある種の伏線とも考えられる。

 

給油施設は1巻のものとあまり変わらない。ぬこが燃料(軽油なのか?)を飲む描写がある。自律機械が進化した生命体であると考えられる。

風力発電施設は看板から古代文明の遺産のようだ。基盤の屋上にあるようだ。昔は森があって植物も動物もたくさんいて生態系ができていた、それがどうして今みたいになったのか…二人は魚のとこの自律機械の話をあまり聞いていなかったようだ。

二人が発見したのは戦略原潜である。核兵器を搭載した弾道ミサイルを多数積んでいる。設定資料では、核融合炉で動いていると書いてある。雪が積もっているのは、ここが基盤の端っこの方で上の階層がないからである。アニメでは日付は3231年3月12日となっている。

なぜ基盤の上に原潜があるのだろうか。二つ可能性がある。ひとつは原潜が自力でこの場所にたどり着いた可能性。とすると、この場所はかつて水の中にあったことになる。古代文明が単に衰退したのではなく滅亡した原因が海水面の上昇であると推測すると理解しやすい。

もうひとつは、何かに運ばれてきた可能性。大型の建設機械ならできるかもしれないが理由が分からない。

原潜の入り口の下はCICのようだ。内部の文字は古代文字。放射能マークは現代のものと同じ。L4とは気密レベルのことであろう。二人の身長に比べて施設は大きめに作られているようだ。

ベッドでチョコを発見したあと、再び中央制御室に戻っているのが分かる。チョコのパッケージには、高カロリー高保存チョコレートと書かれている。

アニメでは日付が3月23日になっているが、10日以上中を探索していたのだろうか?

あと探索中のセリフにミスが二つある。原潜の中のテーブルにいるときと、エリンギがヌコを見たときの反応のところである。

カメラが原潜のコンピューターと接続され、中のファイルが表示される。カメラはこの後にエリンギに食べられてしまうのだが、内部データは原潜のメモリに残った可能性がある。写真には、家族写真や子供の成長記録、友達との記念写真、犬や風景などに混じって戦争や戦闘機?大型兵器、政治家?、神さまの像を見上げる人々、天気予報?、パイプで海水を組み上げる装置?、何かの装置の前に立つ人々などがある。

機械進化論研究会の第12回記録では、学生服を着た少女3人が、自律機械に似た小型機械が製造プログラムに侵入して強制的に自己増殖を始めたことを報告している。ここを見ると、ターミネーターのように機械の反乱によって古代文明が滅亡したかのように思わせる。しかしどうも違うようだ。

これまでで最強の人型大型兵器が、人が乗って操作する機械だった点がその理由だ。また魚のとこの自律機械が、人が喜ぶと嬉しくなる共感機能を持っていたことも気になる。

アニメで明確になってることは、戦争は隣国との間で行われたこと、宣戦布告したこと、死者がら5億人以上いたこと、多脚戦車は足が4本だった、人型大型兵器が街を焼いていること、電磁波爆弾が使用され、電子機器が利用できなくなったこと、地球に落下する何か、都市間や階層間の連絡が途絶えたこと、などである。古代文明滅亡時にネットワークがなくなり、それ以降は生き残った人々や機械が自律して行動していたようだ。

アニメでは、5巻に描かれるおじいさんとの回想シーンがここで出てくる。アニメを作っている時点で漫画が書かれていなかったと設定資料にある。なので漫画とアニメでは明確に違いがあり、二人が旅立つときの年齢がアニメでは幼いが、漫画では青年となっている。

珍しいユーリのモノローグがある。ユーリは何も考えていないように見えて実は普通にいろいろ考えていて、ただ嫌なことは意識的に忘れたり考えないようにしたりしているようだ。でなければこの絶望的な状況で狂ってしまうだろう。むしろチトの方がおかしい。

大きなエリンギが登場する。謎の石像がエリンギであることが明確になる。チトがナイフを持っているのは、腹を裂くためであろう。追いかけた先は入り口ではなく、発射孔である。

エリンギから得られた情報は多い。エリンギは武器や燃料などのエネルギーを分解し安定化させる。エリンギは人間の言語を知っている。しかし人間と会話することは想定外だったようだ。都市の中で生きている人間はもう二人しかおらず、都市機能を停止させたあとは別の都市へ移動する。全ての都市を停止させると眠りにつく。

地球は生命の営みを終えて再び眠りにつく、というのはどういう意味だろうか。生物が絶滅していることから、生命の営みとは機械も入るのかもしれない。また再びとはどういう意味だろう。かつて眠りについた、という意味なら一度地球は終わっていることになる。ではチトたちの先祖はどこから来たのだろう。地球以外の場所なのだろうか。

また最上階はなぜ観測していないのだろうか。最上階の機能は停止しないとの意味でもある。

エリンギが生物由来にしろ機械由来にしろ知的生命体であることは疑いがない。問題はどこから来たのかである。寺院の看板から、少なくとも西暦2828年には伝説上の存在になっていたようだ。

普通に考えれば、古代文明の絶滅のときにエリンギが活躍したと思われる。それから地球は眠りにつき、その後人類は復活した。神と崇められているエリンギとその親玉?が復活に手を貸しているようだ。

古代文明絶滅の際に人類は地球以外の場所にもいたと考えられる。実際、6巻に宇宙基地があることが示唆されている。またロケットを使って脱出した記述もある。

漫画でチトが手を握ってくるが、アニメでは二人で手を取り合うようになっている。またセリフが多く追加されている。エリンギが原潜のロックされていた扉を開けてくれたため、缶詰をゲットできたことが5巻で分かる。

最初二人と別れることを拒否したぬこが、納得する理由がどこにあるのかは不明である。