ひーらぐ日記

自然をこよなく愛する写真家?趣味や興味や楽しかったことだけ書く。

考察しながら読む少女終末旅行「33水路/34怪我/35美術/36衣服/37煙草」

4巻でエリンギが登場して、物語の中核となる秘密が明らかになるのかと思えばそうでもなかった。BLAME!との類似性を指摘する論もあるが、巨大構造物だけでなく古典的ハードSFとして考察の余地を残して物語が進む点も似ている。要素としても、都市を作る建設者、ネットワークの消失、都市のハードとソフトを管理する統治局とセーフガード、管理AIなど共通点が多くある。一方で、全く違う要素として、物語の全体を流れる哲学的なテーマの存在がある。つまり「生きるとは何か」という明確なテーマがあり、それに対する答えもきちんと明示されるのである。またBLAME!が物語に一定の解決とハッピーエンドが訪れるのとは逆に、何も成功せず、謎も解明せず、問題も解決せずそもそも終わりなのかも不明なエンドを迎えることになる。

最終話の後に二人がどうなるかについて様々な解釈ができるが、実は対になる第1話の最後と状況が全く同じで、その先は何も分からないようになっている。最後の食料が尽き星空の下で二人で眠る、なんて状況は今まで二人は何度も陥っているのだ。中間点の螺旋で述べられているように、ぐるぐると同じことが繰り返されていくのかもしれない。

5巻のゲストは管理AIで、これも肝心なことは何も言わない。最上階へは明らかに大量の物資と人を運ぶエレベーターで登るのに、最上階について語ることは禁じられているかのように。

 

原潜の中にあった魚の缶詰が出てくるので、少し食料についておさらいしよう。爆撃機の中でレーションを見つけたのが3230年2月で、カメラの残りを気にしていた8月で残り30日分、飛行場でイモをもらっていたのが10月である。つまり飛行場に着いたときはレーションはほぼゼロでそれから1〜2ヶ月飛行機を作るのを手伝い、少量生産施設に着いたときも食料はわずかなレーションと手持ちのイモだけ。ギリギリである。ヌコが出てきた3231年1月には手作りレーションも少なくなっていて、3月に原潜で缶詰発見だ。ユーリが歌っちゃうぐらい嬉しいのはよく分かる。

巻末の地図?によると、風力発電所から原潜と基盤の屋上が続いている。一面氷なのは標高が高いからであろうか。ユーリはバカにされるとわりと根に持つ。二人が通っている管は倒れた照明灯の中のようだ。水を見つけた場所の円柱は上下に動きそうだ。缶詰にはローマ字でさかなと書いてある。古代文字だ。缶詰ひとつで笑えるほど美味しいと感じられるのを見て哀れと思うか共感するかは人それぞれだろう。だが二人が幸せそうなのは確かだ。もしかしたら現代人がこれほどの幸せを味わうのは至難かもしれない。つまり幸福とは主観的なものだ。

チトはエリンギに最上階への行き方を聞いていた。チトのバカとかゴミとか荷台に乗ってるだけとか、あとで全部ユーリは覚えている。

 

つくりかけの都市が出てくる。建設機械の多くは止まっており、動いているものも資材がなく役には立っていないようだ。アニメでは一度も運転をしなかったユーリがハンドルを握る。荷台に乗ってるだけのゴミと言ったことを後悔したかは分からないが、怪我をしてユーリに運転されるはめになったことは後悔しているだろう。

レールの上には建設機械が載っている。どうやら建設中の基盤殻層のようだ。基盤はこのように自律機械によって半自動的に建設されたのだろう。電磁波爆弾によって機械がネットワークから孤立している状態では正常に機能していないだろうが。ジャンプした場所を見るとかなりメチャクチャなつくりだ。動いている建設機械はたまたま電磁波の影響のない場所にいたのだろう。人間の言葉が通じないのは、かつては人と機械を仲介する別の機械がいたからだろう。

チトが泣きそうになって、疲れたと言うと、ユーリは荷台に乗ってるだけなのに?とまだ根に持ってる。

次は複製美術史博物館である。古代文明の時代の一級美術品のレプリカが飾られている。中央のモノリスは意味不明だが、人類最初の絵であるアルタミラ洞窟の壁画からダビデ像、ビーナスの誕生、落ち穂拾いなどがある一方、2020年〜2828年ごろの絵らしきものもある。

倒れている絵は、ピカソゲルニカの未来版である。古代文明の神さまや祈る人、レーザーを出す兵器、倒れた人々、鳥と人?メテオ兵器?などが描かれている。

この絵があるということは、博物館が戦争後に作られたことを意味する。機械用の印が壁にないのも、人力で管理されたことを示唆しているのか。図書館と同じく人類の記念碑的な意味で作られたのだろうか。滅びると知った人類がこんなものをつくるだろうか。いや、実際滅びていないし、どこかへ逃げて再び戻ってきたときのために作ったのだろう。後の図書館も似たような目的で作られたと考えられる。

 

遠くに光の塔が見えてきており、第6基幹塔が近づいてきた。衣服を直す道具がないのは困ったものだ。ユーリは、服が着れなくなるのが先か私たちが死ぬのか先かと不吉なことを言っているが、先日はチトがユーリの運転で二人が死ななければとか言ってた仕返しだろう。服を自分達で作るのは、先史人類に戻っていく比喩のようなものか。食べ物を探し、着るものをつくって火を起こして暮らす、というのが人の基本的な生活で、実はそれだけやってればいいのだ。

次は死後の世界について語る煙草の話である。胡麻もそうだが、火や煙は死者と接触する基本的なアイテムだ。この物語のテーマである、生きるとは何か、を語るために死後の世界があるのか、魂はあるのか死者と会話することはできるのか。

BLAME!のように死後も人格や記憶を保存する方法があるのかもしれない。寺院で死後の世界は安息の地だと神が言っているが、古代文明が絶滅したとき、エリンギとその親分の神が死者の記憶や人格を保存し、地球が安定したのちに人類を復元したという可能性もある。そういえばエリンギは、我々は生きている人間を食べたりしないと言っていたが、死んだ人間はどうなのだろう。もしかして食べられてメモリーチップにされたりして。

そして枯れた植物のシーンがある。ここは全く分からない。この場面はあってもなくても物語に影響がない。なにを示唆しているのかさっぱりだ。単に煙草の畑なのかもしれないが。そしてプリントされた写真。煙草率が高い。幻覚?が現れる。チトが死んだ人とつながる方法があると言う。それがチトの言う想像力のなせる技なのかは分からない。