ひーらぐ日記

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発達障害と不登校2「発達障害の原因は何か」

前章で、発達障害の要件は意外と厳しく、「幼少期に発現すること」「脳障害や神経障害があること」などが必要であることが分かったと思う。しかし原因は不明とされることが多い。この場合の原因不明とは、脳障害の原因が不明だということであろう。

 

ところで、虐待などの環境要因や、薬物障害などが原因で発達障害のような症状が出る場合は、発達障害とは分類されない。また発達障害のような症状は、ごく普通の人でも出る場合がある。それはどういう場合であろうか。

 

ADHD

注意欠陥・多動性障害は「多動性」「衝動性」「不注意」を特徴とする行動障害である。ただし、こういった症状は普通の人にも見られるので、幼少期から頻繁に社会生活に不都合な程度まで現れないとADHDと診断されない。

つまり社会生活に不都合があるかないかでADHDかそうでないかが決まるという、極めてあいまいな基準である。そもども社会生活に不都合があるかどうかなど、誰が決めるというのか。どのような社会生活を送るかなど、個人の勝手ではないか。

それはともかくとして、ADHDの症状について少し考えてみよう。

 

ADHDの一例として、落ち着いて人の話を聞けないという症状がある。じっとしていられない。すぐ立ち上がって教室をうろうろする。先生の話を聞かない。

その原因が脳機能の不全の場合をADHDと呼ぶ。つまり、窓の外でゴジラが暴れていたり、廊下をバイクが走り回っていたときに、先生の話を聞かずに立ち上がって教室をうろうろしても、異常ではない。

そのようなときに、普通の人の頭の中ではどのようなことが起こっているであろう。恐らく、先生の話より外界から脳に与えられる刺激が強い状態であろう。

しかしそんな場合でも、理性によって行動を制御することができる。先生が「落ち着いてじっとして」と言えば、そうなる場合もあるだろう。

結論から言うと、「感情に強い刺激が与えられ、理性がうまく働かなくなった状態」である。その原因が脳機能の不全によって起きる場合をADHDと呼び、それ以外をパニックと呼ぶ。

 

ADHDの症状の一例として不注意がある。忘れ物について考えてみよう。普通の人でもバスや電車の時間に遅れそうなときは、パニックになり忘れ物をすることがあるだろう。ADHDの場合は、時間に余裕があったとしても、同じような状態にあり、忘れ物をしてしまう。

 

いきなり治療法に飛んでしまうが、ADHDの人であろうと、感情的になりやすい人だろうと、理性的な考えが苦手な人であろうと対応策は同じである。それは「感情を抑制し、理性を働かせる訓練をすること」だ。

 

ADHDとは脳機能の不全により感情に強い刺激が常に与えられ、理性が働きにくくなっている状態である。

 

自閉症高機能自閉症アスペルガー症候群

他人との社会関係形成が困難で、興味や関心が狭く特定のものにこだわる行動障害を「アスペルガー症候群」と呼び、言葉の発達の遅れを伴うのを「高機能自閉症」、知能の遅れを伴うものを「自閉症」と呼んでいる。

ごく普通の人であれば、いつかアスペルガー症候群と全く同じような症状を経験するはずだ。それは「恋愛」である。恋する二人は、まさに二人以外の恋愛関係の形成が困難になり、恋愛の興味や関心が相手に狭まり、特定の相手にこだわっている状態だ。ただそれは悪いことではない。「恋は盲目」と言われるようにはた迷惑な場合もあるが。

この状態は、言わば「感情」と「理性」が直結している状態だ。「この人が好きだ」という感情と「この人といれば幸せになれる」という理性が固着して暴走しているため、他の選択肢が頭に入らない。通常の状態であれば、感情は時間が経つと収まるものである。しかしこの状態は、理性が感情を、感情が理性を強化する方向に働くため長続きしやすい。

この症状の問題は、成功体験によって刷り込みが起きることだ。理性と感情が直結しているというのは、自動車で言えばデフロックしている状態で、一時的な混乱から抜け出すのに都合がいい。こうした成功体験が、しばし必要のないときに思考の硬直を招き、周囲に迷惑を及ぼす。恋愛であれば、駆け落ち、極端に言えば心中などに結びつく。確かに「愛」という面でそれは完成かもしれないが、周囲からは迷惑なだけである。

この状態の治療は「多角的なものの感じ方、考え方をする訓練をすること」である。私は訓練には、カードゲームが有効であると思っている。

 

「感情と理性」

人間の脳には、感情と理性を司る部位がそれぞれあるが、その連携がうまくいかず、機能不全を起こすことがある。情報過多で、外部からの刺激が大きく増加した現代社会では、刺激によって感情が励起され、よりセンシティブな、ストレスフルな状態になっている。それに対応して、理性、つまり物事を論理的に解釈する思考能力も現代人は向上していると言えよう。しかし過去に比べてより強力になった理性と感情が、人という生物個体の社会生活を豊かにしたかと言えば、そうとも言えない。むしろバランス調整が難しくなり、機能不全に陥ることも少なくない。特に、脳と身体の成長途上にある、幼少期から青年期にかけて、その傾向が強くなる。

 

「思うこと=感情」と「考えること=理性」を合わせて「思考」とするならば、「思考不全症」とでも呼ぶべき症状があるようだ。そのうち脳機能もしくは神経機能の障害によって起こされるものの一部を発達障害と呼んでいるのではないだろうか。つまり発達障害は「脳障害性あるいは神経障害性思考不全症」という方が、実態を良く表しているのではないだろうか。

 

というのも、以下に述べる事象は、発達障害では全く説明できないからだ。

 

「神経性胃炎と頭痛」

「感情」と「理性」の連携不全のうち、脳障害や神経障害が原因のものの一部が「発達障害」であるようだ。一部と書いたのは、「発達障害」が主に「感情」の暴走に限定されている点にある。「感情」と「理性」両方が暴走した場合、あるいは「理性」のみが暴走している場合は含まれない。なぜなら、「理性」が暴走しても、発達障害の要件である「学習困難」が伴わないからである。

 

自分のやりたいこととやるべきことが一致しない場合、悩みに悩んでも答えが出ない場合、しばしば身体に異常をきたすことがある。神経性胃炎や頭痛がそれだ。この場合「感情」と「理性」の両方が暴走している。要するに「考えすぎ」の状態だ。

 

ADHDの子供が大人になってしばしば胃炎に襲われるのは、制御の難しい感情に対抗して発達した理性が、コンフリクトを起こしていると考えられる。治療法は、感情を抑制する訓練をすることだ。しかし我々は普通なら、内科に行き胃酸を抑える薬をもらう。これでは根本的解決にならない。

 

サイコパス

「感情」と「理性」の連携不全のうち、「感情」が欠如しているものをサイコパスと呼ぶ。感情に対し理性が暴走している状態で、感情が全く働いていない場合と、快楽など限定的に働いている場合がある。この場合も、学習困難が伴わないため発達障害には分類されない。

サイコパスは「良心」や「人間性の基底となる感情」を持たないため、利己的、自己中心的な行動する。自分の利益はしばしば他の利益と相反するため、反社会的行動のみがクローズアップされるが、自己の利益になれば社会的に有益な行動をする場合もある。戦争などで「感情が麻痺」している状態でもサイコパス的な行動をとる場合がある。

 

治療法は、感情が多角的に機能するような訓練をすることである。多くの感情が同時に発現するような音楽やオペラ、映画などを見ることはある程度効果があると考えられる。

 

「無気力症」

感情と理性が、両方とも機能停止している状態である。しばし、ADHDアスペルガー症候群を持っている人が、理性と感情が暴走によってオーバーヒートし、この状態になることがある。「燃え尽き症候群」ともいう。

 

発達障害という分類は適切なのだろうか」

ここまで「感情」と「理性」を簡単に分けて説明してきたが、実際のところは「感情」にだっていくつも種類があって同時に働くし、「理性」もひとつだけ働くわけではない。例えば道に財布が落ちていたとしよう。我々には「驚き」「喜び」「警戒」などの感情が生まれ、「拾うべきか放っておくべきか」「拾った場合の得は」「ネコババするべきか届けるべきか」「罠ではないか」などの理性が生まれる。結果の行動として正解なのは、「警察に電話してどうすればいいか聞く」「証拠となる写真や証人となる誰かを用意する」だ。理想的なのは警察に連絡したのち、友人などと二人で拾い、中身を確認した上で届けることだ。

話がそれたが、財布を落ちているだけで普通の人はこれだけ複雑な「思考」をするわけだ。その複雑さが、安定でもある。多角的な感情と理性が、多様な思考を生むことによって、思考が極端に偏るのを防いでいるのである。

発達障害とは、思考不全症のうち感情の暴走を伴うもののうち脳機能や神経機能の不全によって生じるもののうち学習困難を伴うものというひどく限定的なものなのである。それは「学校は勉強さえできていれば他の問題は対処しない」と言っているようなものであり、不適切な分類と言えよう。

 

「学校がすべきこと」

学校がすべきことは、「脳障害や神経障害」に伴うものであろうとなかろうと、児童生徒に支援の手を差し伸べることである。育児放棄や虐待、薬物中毒で「擬似発達障害」の状態であろうと、発達障害と同じように「感情の抑制」「多角的で柔軟な思考」をする訓練は必要なのだ。

そして、学習困難を伴わない場合でも、サイコパスや神経性胃炎などの症状が生じ支援が必要だということを認識すべきだ。

 

次章では、発達障害だろうと、擬似発達障害であろうと、自分が思考不全症に陥っていると感じたときにどのようにすればいいかについて述べよう。